彼女(51)は、商社勤めの夫(52)と3人の子を持つ主婦である。11カ月前に亡くなった父の相続で悩んでいた。
父には、祖父から継いだ資産があり、特に都心にある自宅の土地・建物の価値は高かった。両親はそこで暮らしていた。
3年前、夫の海外駐在が終了し、彼女らは両親宅を訪問することにした。心配の種は夫も父も短気で頑固なことだった。折り合いが悪く、これまで衝突を繰り返してきた。
最初は和気あいあいだったが、孫の教育方針を巡って父と夫が口論になった。
「どちらも落ち着いて。久しぶりなんだから・・・」
彼女は両者を制した。
「お前はこいつの味方か!二度とここに来るな!」
ケンカ別れとなったことから、体調がすぐれなかった父は、遺言の作成にとりかかった。その結果、土地・建物は彼女の弟(49)に、ほかの遺産は母に相続させること、弟が母を終生、扶養することが明記された。弟は独身で、近くに借家住まいしていた。
1年後、父は脳出血で入院。その後も脳血管障害で再入院した。
母は娘夫婦を気遣い、彼女と連絡を取り合っていた。父の機嫌を見計らって、娘や孫の様子を伝えてもいた。
5カ月後、病状が悪化した父が再び遺言をしたいと言い出した。母は知人に相談して、病室で「死亡危急遺言」をすることにした。死期迫った人が証人3人以上の立ち会いのもとで、その1人に遺言の趣旨を口で伝えるものだ。
父は、@以前の遺言は取り消すA母を大切にして皆仲良くしてほしい―と述べた。家庭裁判所の確認も受けて、この遺言は父の真意に基づくものと判断された。
父は8カ月後に他界した。相続では、父の遺言が話題になった。弟は、死亡危急遺言の効力を否定し、以前の遺言に従って、土地・建物は自分のものだと主張した。
彼女は、父の病室での言葉が忘れられない。
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