彼女(46)の実家は東北地方で老舗(しにせ)旅館を営んでいる。5年前に父が亡くなった後、母(71)が経営してきた。
長女である彼女には、長男のA男(44)のほかに、42歳の次女と36歳の三女の2人の妹がいる。次男は7年前に、妻子を残して亡くなった。東京の旅行会社で支店長をしている彼女は、旅館を継ぐつもりはなかった。妹2人は遠方に嫁ぎ、A男が旅館の仕事を手伝っていた。
父は不動産をいくつか残した。相続は母の考えに沿って相続人がそれぞれの法定相続分に従って共有持ち分を取得した。すなわち、母が全体の2分の1、彼女は10分の1の割合だった。
1年半前、母が過労で倒れた。旅館を誰が継ぐのか。きょうだいで話し合った。
「やっぱり、近くで手伝うA男兄さんが継ぐのかな」
三女が言った。A男にかわいがられてきたので、“A男派”だった。
「そう言ってもらえるとうれしいね」
A男がうれしそうな表情を見せた。
「私はお姉さんがふさわしいと思うわ。お客さんの接待に慣れているし、今は時々帰ってくるだけなのに、従業員の信頼が厚いから」
次女は彼女を強く推した。面倒見がよく、誰にも公平に接する彼女の人柄が好きだった。A男は日和見で打算的に動く様子があからさまで、従業員の評判もよくなかった。
「私は東京で仕事をしているし……」
話し合いはそのまま終わった。その直後、A男は、母が父から相続した2分の1の持ち分を自分に贈与するよう母に迫り、約束をとりつけた。ただし、所有権の移転登記はされていなかった。
その1年後、母は亡くなった。公正証書遺言が残され、父から相続した2分の1の持ち分を彼女に遺贈する旨が記されていた。彼女は次女の勧めもあって移転登記し、旅館を継ぐ決心もしたが、A男の再三の抗議に参っている。
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