養子よ恩を忘れたか


 彼女(72)は43年前、夫と見合いし、東北地方で代々続く旅館に嫁いだ。東京育ちの彼女には旅館をやっていけるか不安もあったが、夫の父母が忍耐強く手ほどきしてくれたおかげで、女将を無事務めあげてきた。ただ、年中無休の忙しさのためか、子どもには恵まれなかった。

 25年前、旅館で働いていた女性が病気で亡くなった。離婚していたので、15歳のひとり息子、Aだけが残された。子ども好きだった彼女はAを引き取ることにした。ゆくゆくは養子にすることも考えていた。

 「将来何になりたいの」

 彼女は、Aの夢をかなえてやりたいと思った。

 「お医者さんになりたい」

 彼女は一生懸命に働き、Aを大学医学部に進学させ、医者として独立するまで援助を続けた。Aは結婚もし、医院を開業できるまでになった。

 5年前、Aから、彼女の養子になりたいとの申し出があり、彼女も了解した。

 彼女もそろそろ引退し、自分自身の財産や6年前に亡くなった夫の遺産をほぼすべてAに引き継いで、養子夫婦と孫に囲まれて余生を過ごそうと考えた。

 そこで、まだ遺産分割を終えていなかった夫の遺産について関係者を説得し、彼らの相続分を彼女の財産とともにAに贈与することに合意してもらった。Aは多額の財産に感謝し、彼女に仕送りする約束をした。2人の関係は円満に続くようにみえた。

 ところがまもなく、A夫婦の態度が一変した。彼女に対して、急に高圧的になったのだ。理由もなく仕送りの金額を減らし、彼女が日用品の買い物さえできなくて困っているのを知りながら、見て見ぬふりをする。全財産をAに贈与した彼女が、やむなく親戚に借金を頼むと、Aはじゃまをした。

 「恩知らずとはまさしくこのことね。誰のおかげで今があるの!」

 Aに対する腹立ちを、彼女は抑えられずにいる。

 
 
「負担」怠れば贈与取り消し

 彼女の贈与は財産のほぼ全部にあたり、彼女の生活の基盤をなしていた分も含まれている。それは、彼女とAとの情愛や養親子の関係にもとづき、贈与後の彼女の生活が困難にならないことを条件とするものであったといえよう。この趣旨は、Aも十分承知していた。

 したがってこのケースの贈与は、高齢の彼女をAが扶養し、円満な養親子関係を維持し、彼女から受けた恩愛に背かないことをAの義務とする、いわゆる「負担付き贈与契約」であったと評価できる。負担付き贈与では、贈与を受けた者がその負担である義務の履行を怠ったときは、贈与した者は贈与契約の解除ができる。

 彼女は、Aに対する贈与契約を解除し、財産を取り戻すことができよう。

 
  筆者:本橋美智子、籔本亜里