主婦だった彼女(50)は33歳で離婚した後、いくつかの仕事を経てアメリカに留学。帰国後に、外資系保険会社に職を得た。しかし、英語と日本語が飛び交い、海外出張も多い職場で、少しずつ精神的な疲れがたまっていた。
そんなとき、小さい頃に目にした光景を、ふと思い出した。それは祖父が座敷に正座し、硯に向かっていた姿だ。
「おじいちゃん、字を書くのって面白い?」
祖父にこう問いかけたのを覚えている。
「気持ちが、すっと引き締まるんだよ。ハハハ」
祖父の言葉を理解できるようになった気がした彼女は、「気持ちがすっと引き締まる」ような書を手に入れたいと思い始めた。
知人に画商のA氏を紹介された。絵画が専門だが、書も扱うという。仲介を頼むと、数日後に連絡がきた。
「B氏が書の愛好家でね。何枚か譲ってくれました」
A氏は2点の書を彼女に示した。有名な書家の作品だという。A氏はB氏から真作に違いないとの説明を受け、35万円で譲り受けていた。
「出所は間違いありません。いいものでしょう」
彼女も気に入り、47万円で購入した。1年前のことだ。
ところが、2点ともニセモノであることが判明した。最近になって知り合った女性が書に詳しく、見てもらってわかったのだ。
「まったくショックよ。払ったお金を返してください」
彼女はA氏に迫った。
「そうでしたか。私も真作だと信じていました。それに・・・」
A氏は誤りを認めたものの、47万円は返せないと言った。投資に失敗し、資力がなくなっていたのだ。
「Bさんから返してもらえばいいじゃないですか」
彼女はA氏に催促した。
しかし、何日たってもA氏は動こうとしない。プライドからか、自分のところを素通りするお金だからか。彼女は困っていた。 |