母の遺言無視した兄

彼女(47)は小さいころから体が弱く、ずっと両親と一緒に暮らしてきた。兄(50)は父とそりが合わず、20年前に家を出たきりだった。

 実家は農家だが、5年前に父が脳梗塞で倒れ、1年あまり母(75)の看病を受けた後、亡くなった。父が倒れたとき、母は兄に家業を継がないかと打診したが、兄にその気はなく、見舞いにもろくに訪れなかった。

 母は3年前、彼女にこんなことを話していた。「あんたには住む家を残さんとね。お兄ちゃんは東京で何とかやっているみたいだし」

 それから2年ほどたったある日、激しい台風に襲われ、老朽化していた家のあちこちに不具合が生じた。建て替えることにしたが、台風から避難する際に母は転倒し、腰の骨を折る重傷を負った。

 彼女は東京の兄に連絡し、助けを求めた。兄は失職していたらしく、ふたつ返事で帰ってきた。彼女が入院した母を看病する一方、兄が家の建て替えを引き受けた。兄は、自分が発注者となって町の業者と請負契約を交わしたが、費用はすべて母が負担した。

 数カ月後、工事はほぼ完成した。母の具合はよくなかったが、家に帰りたいという願いは強く、母と娘は再び自宅で暮らし始めた。

 まもなく母は、彼女のために遺言をつくった。建て替えた家と土地を彼女に遺贈する内容で、遺言執行者として彼女を指定した。1カ月後、母は帰らぬ人となった。

 母が亡くなって2週間後、彼女は兄に遺言を伝えた。兄は不満げだったが、その場では特に何も言わなかった。

 ところが、建て替えた家が母の死の直後に兄の名義で保存登記されており、ほぼ同時に金融業者のために抵当権が設定されていたことがわかった。兄が、母や彼女に無断でしたことだった。

 「母さんの遺志と違うわ」

 「おれは遺言のことなんて聞いてなかった。建て替えたのは、おれだぜ」

  思わぬ争いが起きた。
 
 
死亡と同時に所有権は移転

不動産が遺贈された場合、遺言者の死亡によって遺言の効力が生じると同時に、所有権は遺贈を受けた「受遺者」に移る。受遺者は所有権にもとづき、相続人や第三者のために設定された無効な登記の抹消を求めることができる。

 民法は、遺言執行者がある場合、相続人は相続財産の処分など遺言の執行を妨げる行為ができないと定めている。遺贈された不動産に相続人が第三者のために抵当権を設定しても無効であり、受遺者は登記がなくても所有権を第三者に主張できる。

  このケースの家は、母が死ぬ前にほぼ完成している。当事者の合理的意思から判断して、家の所有権は実質的な建築主である母にあり、その死とともに相続財産となった。彼女は、兄や金融業者に登記の抹消を請求できる。
 
  筆者:隈部翔、籔本亜里