兄が引き受けた借金

東京都内の通信会社に勤める彼女(37)が、5年越しで交際してきた男性との結婚を半年後に控えたときだった。九州の実家に暮らす父が、脳出血で突然他界した。

 「どうして死んじゃったの……」
彼女は、ひつぎに眠る父を見つめてつぶやいた。

 「結婚式を楽しみにしていたのに、残念だったろうな」

関西から駆けつけた兄(44)が言った。

「母さんと一緒に、天国からお祝いしてくれるわ」

妹(34)が、姉の悲しみをやわらげようと言い添えた。母が2年前に亡くなってから、父はすっかり老け込んでしまっていた。

葬式から1カ月後、彼女と兄、妹が集まり、父の遺産整理に取りかかった。ガソリンスタンドを経営していた父は自宅のほかに、土地と建物を1件ずつと預貯金4千万円をのこした。一方で、9年前に知人のA氏から3500万円を借り、その残高が1800万円あることも判明した。

「不動産は、おれが引き継ぐけど、いいよな」

兄が彼女と妹に承諾を求めた。将来は九州に戻りたいからとの理由だった。これまでも会社を辞めたいと兄が言うのを聞いていた彼女と妹は、それを受け入れた。

 「そのかわり、私と姉さんは現金を多めにもらってもいいよね。姉さんも結婚準備で物いりだろうし」

兄もこれを了解し、彼女と妹がそれぞれ1500万円を相続することになった。A氏に対する借金は、兄が責任を持つと約束した。

遺産分割を終えてしばらくすると、A氏から彼女と妹に手紙が届いた。借金の残高1800万円のうち、3分の1にあたる600万円ずつを支払うよう求めていた。

 「兄が全額を負担することになっていますが……」
彼女はすぐA氏に伝えた。

 「それはあなたたち内輪の問題ですよ」

A氏は、彼女にも支払い義務があると言い張った。
 
 
相続人同士の約束は有効

被相続人の債務は、相続開始と同時に共同相続人に引き継がれる。このケースで問題となっている父親の借金は分割することができる債務だから、共同相続人がその法定相続分に応じて引き継ぐ。したがって彼女は600万円の債務を負うことになる。

 父親の債務を特定の相続人である彼女の兄の負担とするには、債権者であるA氏の承諾を得たうえで、彼女ら他の債務者の責任を免除させる「免責的債務引き受け」をしなければならない。

  A氏が承諾をすれば、兄が全額を支払うことになる。一方、免責的債務引き受けが成立するかどうかは別として、相続人の間では債務引き受けの約束は有効なので、彼女がA氏に600万円を支払えば、その分を自分へ支払うよう兄に求めることができる。
 
  筆者:菱田貴子、籔本亜里