ニセ専務に雇われた


彼(27)は大学卒業後もやりたい仕事を見つけられず、ニート状態に陥っていた。このままでは自分がダメになる。そう考え直して、1年前に運送会社に飛び込んだ。

 「ここで運転手の仕事をさせてもらえませんか」

 窓口の女性はちょっと驚いた様子だったが、すぐに外を指さして言った。

 「あそこに立っている人が専務だから、頼んでみたら」

 専務≠ニ呼ばれた男は「A社専務取締役」の名刺を差し出して、彼に即答した。

 「いいよ。運転手を募集しようと思っていたところだ」

 「ありがとうございます。一生懸命働きます」

 彼と専務≠ヘ、1日1万5千円の日給月給制で雇用契約の合意をした。

 ところが専務≠ヘ、実はA社の運送業務を1日1万8千円で下請けしていた業者だった。仕事をとりやすいように、A社が「A社専務取締役」の肩書の入った名刺の使用を認めていただけだった。

 両者の間には、専務≠ェA社の仕事をするときは、A社の商号が車体に表示されたA社所有のトラックを使い、ガソリン代や自動車保険など一切の費用をA社が負担するという取り決めもあった。

 専務≠ヘ孫請けをさせるために、彼と雇用契約を結んだのだった。

 しかし彼は、A社に雇われたものとすっかり信じ込んでいた。専務≠フ指示を受けて、A社の商号付きトラックを運転し、ガソリン代は車内にあったA社名義のカードを利用して支払った。その日の業務が終わると日報を書き、A社に送っていた。

 彼は毎月、専務≠ゥら賃金明細を受け取っていた。ところが突然、専務≠ェ会社に現れなくなった。彼は、直近30日分の賃金45万円を受け取れなくなってしまった。そこで周囲の人に話を聞き、ようやく事情を知った。

 「A社の仕事をしたのに、A社からはもらえないの?」

  彼はすっかり頭を抱えてしまった。
 
 
会社にも賃金支払いの義務

 専務≠ヘA社専務ではないので、彼はA社に対して雇用契約の報酬としての賃金の請求はできない。しかしA社は、取締役でも使用人でもない男が「専務」と称することを認めていた責任として、専務≠ニ連帯して賃金を支払う義務があると考える。

 @名刺を使うことで専務≠フ営業がA社の営業であるかのような外観があったAA社は名刺の使用を専務≠ノ許諾していたB専務≠フ指示のもとで彼はA社の商号が書かれたトラックを使い、ガソリン代はA社名義のカードで支払い、日報をA社に送っていたC専務≠ヘ現場で「専務」と呼ばれていた、などから、彼がA社を自分の雇用主だと誤認しても重過失はないといえるからである。

  彼は、A社に未払い賃金を請求できよう。
 
  筆者:隈部翔、籔本亜里