本当に父の遺言なの?

半年前、彼女(55)は夫(71)を病気で亡くした。2人の間に子はなかったが、夫には先妻の子のA男(47)とB子(45)がいた。先妻が7年前に亡くなった翌年、彼女は後妻として嫁いでいた。夫の会社で秘書をしていた縁で結ばれたのだ。

 彼女と2人の子の関係は良好ではなかった。A男らには、母が病気で床についていた間に父と関係をつくった彼女に、家を乗っ取られたかのように映ったらしい。

 夫が亡くなって数日後、義兄がやってきた。

 「半年前に預かった」

 義兄はこう言って、彼女とA男、B子の前に夫の自筆証書遺言を差し出した。「預金のうち、○○万円はA男、△△万円はB子に相続させ、自宅の土地、建物その他の財産はすべて彼女に相続させる。小生の意思を尊重せられんことを切望」との内容だった。

 「これはちょっと……」

 遺言を読んだA男とB子が顔をしかめた。相続分が少ないことが不満だったのだ。

 「本当に父が書いたの?」

 B子が疑念を差し挟んだ。

 「カーボン紙の複写で書かれた遺言なんてあるかしら」

 確かに遺言はカーボン紙で複写されたもので、B子は「おかしい」を連発した。

 「でも、本人の字で書かれているから問題ないだろう」

 義兄がやや自信なさそうに答えた。

 A男も文句をつけ始めた。

 「押印もない。自筆証書なら押印が必要だろう。おやじの名前の下に押印がない。これって無効だよ」

 A男の言うとおり、遺言書本文に夫の押印はなかった。

 義兄は困っていたが、遺言書が入っていた封筒の封じ目に気がついた。

 「見ろ、封じ目に押印がある。これでいいじゃないか」

 義兄は、彼女をちらっと見ながら、その場を丸くおさめようと努めていた。彼女はじっと黙っていた。

 
 
カーボン紙の複写でもOK

 

 自筆証書遺言では、遺言者がその全文と日付、氏名を自書し、印を押さなければならない。自書が求められるのは、遺言書の筆跡を鑑定すれば証書が偽造・変造されていないかがわかるので、遺言が遺言者の真意に出たものであるかどうかを判断できるからである。筆跡が真筆かどうかを判定できればよく、カーボン紙の利用も許される。

 また、押印は遺言の自署と同様に、遺言が本人のものであるかどうかを確認するとともに、慣行として文書の完成を示すために必要と解されている。この趣旨が損なわれなければ、押印は必ずしも署名の下にある必要はなく、彼女は遺言どおりの遺産を受けられる。なお、自筆証書遺言は、遺言者が死亡後、家裁で検認手続きをし、その場で開封することに注意したい。

 
  筆者:本橋美智子、籔本亜里