彼女(55)は、介護老人保健施設に入所している母(85)が、施設内で骨折した事故の責任をめぐり、施設側との話し合いに悩んでいた。
昨年の、ある夕刻。食堂で夕食を済ませた母が自室に戻ったところ、ポータブルトイレが清掃されていなかった。夜間もそのまま使うのがいやだった母は、自 分で処理しようと排泄(はいせつ)物の容器を持ち、手すりをつたいながら15メートル先のトイレに行って中身を捨てた。容器を洗おうと隣の汚物処理室に入 ろうとしたとき、出入り口の高さ約8センチのコンクリート製の仕切りに足を引っかけて転倒、左大腿(だいたい)骨頸(けい)部を骨折してしまった。
「トイレをきちんと清掃してくだされば、母は骨折なんかしなかったのに……」
彼女はこう言って、母の骨折は施設側に全面的に責任があると主張した。施設の介護マニュアルでは、ポータブルトイレの清掃は朝5時と夕方4時の1日2回行うことになっていたのに、その日は職員がうっかり忘れていたのだ。
施設側は「ナースコールで職員を呼んでくださればよかった」と反論した。汚物処理は介護要員に任せ、足元のおぼつかない要介護の入所者が自ら処理しないように指導していたという言い分だった。
「トイレが汚れていればきれいにしたいと思うのは、当然じゃないですか。母は、自分のことは自分でしたいと思う性格なんです」
母がしたことを否定された腹立たしさに加えて、彼女は、母の転倒のきっかけになった仕切りも許せなかった。つまずきやすい仕切りを設けていること自体、構造上の欠陥だと思った。
「汚物処理室は入所者の出入りを想定してなく、仕切りは、汚水が室外に流れ出ないようにするためのもので、構造上の欠陥ではありません」
責任を認めようとしない施設側の言葉に、彼女の堪忍袋の緒が切れかかっていた。 |