住宅資金援助したのに

 九州に暮らす彼女(71)は一昨年、夫を亡くした。遺品整理も一段落したころ、ひとり息子の春男(44)から「東京で一緒に住まないか」との提案があった。

 「ひとりだと不自由だろ。万一のことがあっても九州じゃおれたちもわからないし」

 大手メーカーに勤める春男は、妻の秋子(41)と娘(13)の3人暮らし。

 「社宅を出されることになってね。家を建てようと思うんだけど、母さんの部屋もつくって同居しようかと」

 彼女は喜んだが、気掛かりがあった。

 「秋子さんはいいのかい」

 秋子は毎日、子どもの世話や趣味の活動に忙しいと聞いていた。年寄りが押しかけては迷惑ではないか。

 「大丈夫。了解している」

 春男は繰り返した。もっとも、条件があった。彼女が建築資金を援助することが妻を説得する材料だったのだ。彼女はしばらく考えて言った。

 「一緒に暮らすんだから、私も出さなきゃね」

 その方が自分の居場所もあると、彼女は思った。

 九州の家を売り、代金から資金の3分の1を出して新居を共有にした。1年後に同居を始めて3カ月は、毎日孫の顔を見られて楽しかった。秋子も何かと気遣ってくれた。

 ところが、やがて秋子はテニスに歌舞伎にと家を空けることが多くなり、彼女は留守番と孫の世話を任されるようになった。気分転換をしたくても、慣れない都会に落ち着ける場所はなかった。

 そんな時、春男の海外転勤が決まった。彼女にはまったくの想定外。困惑に拍車をかけたのが、深夜に聞こえてきた春男夫婦の会話だった。

 「私たちがいない間、この家は人に貸しちゃう?」

 「母さんはどうするんだ」

 「そうね、九州に帰ってもらうの、どう?」

 今さら帰れとは……。彼女は暗然とした思いになった。

 
 
追い出されるいわれはない

 

 彼女にしてみれば、実家を売却してまで建築資金を援助したのだから、追い出されるいわれはない。自分の権利を主張して住み続けることはできる。ただ、都会暮らしに慣れない彼女にとって、ひとり暮らしが良い選択かどうかは検討が必要だ。

 家を出るのなら、その後の住まいや生活費をどうするか、援助した建築資金をどう回収するかを考えなければならない。手持ちのお金が乏しければ、扶養請求 の調停を家庭裁判所に申し立てることが考えられる。直系血族の扶養義務を根拠に扶養料を請求するものだ。建築資金の返還には、息子夫婦が難色を示すかもし れない。その場合は共有物分割請求訴訟を起こし、家を売却して持ち分相当額の清算を求めることになろう。

 
  筆者:妻鹿由美子、籔本亜里