彼女(59)は毎夕、障害がある一人娘の望(26)を施設に迎えに行っていた。
「望、家に帰るよ」
「はーい、今行くね。お母さん、ありがとう」
望は、職員に車いすで連れられて施設の玄関までやってくる。知的発達がやや遅れ、右半身も不自由だが、生来の明るい性格で施設の仲間や職員に好かれている。
彼女は、望を車に乗せると帰り道につく。最近、家までの20分間に、頭の中を不安がよぎるようになってきた。
「私がいなくなったら、望はどうなるんだろう……」
年をとって送り迎えがだんだんきつくなっているせいか、自分が倒れる日がそう遠くないと思えてしまうのだ。
彼女は24歳のときに結婚した。子どもに恵まれず、あきらめかけていたときに、望を授かった。妊娠中に障害があることがわかって一時は悩んだが、「いいじゃないか。貴重な命だ」との夫の一言で、産む決心をした。
ところが10年前、一緒に頑張ってくれた夫が交通事故で亡くなり、以来、彼女はひとりで望を育ててきた。幸い保険金などで生活費はまかなえたものの、精 神的にきつい日も少なくなかった。それでも、望が大人っぽい会話をするようになり、母に負担をかけまいと努めている姿を見ると、救われる気持ちだった。
2カ月前、彼女は駅の階段で人に押されて階段を踏みはずし、全身を打撲した。そのため、翌日からしばらく起き上がることができなくなっ た。望の送迎は施設の職員に委ねたが、施設でバザーの予定があり、娘とともに楽しみにしていただけに、彼女は事故で出席できなかったことがショックだっ た。
「万一のとき、大切な娘のために、何をしておいてあげるべきなのか……」
彼女は真剣に考えている。 |