戦地の描写がだめとは

3年前、彼(83)はある高校の夜間部に入学した。満足な勉強の機会がないまま戦地に赴いた彼は、戦後も病弱な母と幼い妹のため、結婚後は妻子のために、町工場で働き続けてきた。人生の締めくくりにと、意を決して勉学の場に身を置いたのだ。

 学校には、様々な年齢層の老若男女がいた。それぞれの背景は多様だが、みな熱心に授業に取り組んでいた。

 学期末に、「いま最も伝えたいこと」をテーマに作文を書くことになった。それまでの人生を振り返りつつ、将来の生き方を考える契機にし、後輩たちに貴重な経験を伝え残すのだという。それは文集の形で地域の中学校や高校に配布されることになった。

 「テーマは何でもよろしいんですか?」。彼は担任の老教師に質問した。「いいですよ。思いのたけをどうぞ」

 実は、彼には何十年もの間心の奥底に封印していた記憶があった。戦場となった畑で人をあやめた瞬間、倒れる人の顔、ほとばしる血……。歳月がどれほど流れても記憶から消えることはなかった。

 彼は3週間かけて封印した記憶と悪戦苦闘した。言葉は粗削りだったが、思い出すままに書いて提出した。償いというか、ホッとした気持ちを覚え、作文を通して心の重荷を下ろしたかのようだった。

 新学期、文集が、老教師に代わって着任した若手の教師から配られた。「えっ、なんで?」。彼は思わず声をあげた。彼が記憶をひもといて書いた現場の出来事が大幅に削除されていたからだ。

 彼が異議を申し立てると、「描写がきつく、実名もあり、教育的配慮から職員会議で削除を決めました」と若手の教師は答えた。

 「無断じゃないですか。なぜ私にひと言の相談もないのですか!」。彼は胸が張り裂けるような痛みを感じた。この痛みには何の補償の価値もないのか……。

 
 
削除は教師の裁量権を逸脱

 

 教師には、教育の内容について合理的範囲内の裁量権がある。

 学生の作文に事実関係の誤りがあるとか、実名の掲載が教育上好ましくないと判断されるとき、教師は学生に対し、提出した作文の修正や削除を指導することができる。

 学生が従わないときは、その作文を文集に掲載しない措置をとることも許される。

 しかし、教師といえども、作文の一部を本人の了解を得ることなく削除し、本人が希望しない形で掲載することは、教師の裁量権を逸脱し、その学生の人格権、及び作文についての著作者人格権を侵害する行為といえる。

 彼は、人格権侵害などに基づいた精神的損害の賠償を請求できると考えられる。もっとも、文集の再発行まで求めることは難しいだろう。

 
  筆者:本橋美智子、籔本亜里