「おとうさんもあれこれ迷ったみたいね」。彼女(50)は、日付の異なる3通の遺言書を前につぶやいた。それは、2年半前に病気で亡くなった父が作ったものだった。
8年前の日付の1通目には、彼女の弟(47)に「全財産を相続させる」旨の記載があった。ところが6年前に作られた2通目には、母に「全財産を相続させ る」と記載がある。そして、3年半前に書かれた「ゆいごん」と題する書面には、彼女に「全財産を相続させる」となっている。
母は4年前に病気で亡くなったので、いま父の法定相続人は彼女と弟だけだ。ところが弟は、父の死後まもなく、彼女の知らぬ間に父名義の 不動産について彼の単独名義で所有権移転登記の手続きをし、父名義の郵便貯金の払い戻しを受けていた。弟は会社を辞めて実家に戻っていたから、権利証や通 帳、印鑑の場所を知っていたようだ。
内気で地味な彼女と対照的に、弟は外向的で人付き合いが良かったが、そのために金遣いは荒かった。姉弟の仲はいいとはいえなかった。
3通の遺言は、父の不動産の名義が移されているのを知ったのと同時期に、偶然、彼女が父の机の引き出しから見つけたものだ。
「お父さんの遺産を勝手に持っていかないで。最後の遺言には、私に財産を残すとあるわ」。遺言発見後、彼女は弟に強く抗議した。
「姉さんあての遺言はダメ。5月吉日とだけあって日付がきちんとしていないだろ。おれあての遺言はきちんとしているよ」。彼女は、ちゃらんぽらんな弟がどうして遺言のことに詳しいのか、その反論に驚いた。
「でも、お母さんあてのもあるわ。そもそも無断で手続きするなんてひどい!」
彼女はその後も話し合いをしようしているが、弟は何かと理由をつけて逃げ回り続けている。 |