16年前、彼女(50)は最愛の母を病気で亡くした。「お父さんのことをお願いね。1人では十分なことができない人だから」。亡くなる直前、母は枕元でそう言い残した。
父はその5年前、ある建設会社の工事現場で木材の落下事故に遭い、手足に重傷を負って退職。労災保険などは出ていたものの、手足の自由が利かなかった。
彼女には弟(43)と妹(41)がいたが、当時社会人になったばかり。彼女は大手の製鉄会社に勤めて収入が比較的安定していた。
「結婚する予定もないし、結婚したって何とかするわ」と、収入の一部を父に送金してくる彼女に対し、父は15年前、こう提案した。
「すまん。お前の在職中は毎月数万円ずつ入れてくれるか。その代わりおれが死んだら財産の全部をお前にやる」
「そんなことしたら、弟や妹が文句言うわよ」
「あいつらももう少ししたら独り立ちする。それより、面倒をかける独り身のお前にせめて何かしないと」
父は提案した内容で契約書を作っていた。いわゆる死因贈与契約だ。
それから15年、彼女は約束どおり毎月数万円と賞与の一部を父に送金し続けた。そして去年の冬、父は突然の心筋梗塞(しんきんこうそく)で亡くなった。
ところが、思わぬことが起きていた。死因贈与契約があるにもかかわらず、父は2年前、財産の一部を弟と妹に与えるという自筆証書遺言を作っていたのだ。
「姉貴、いいだろ。おやじの遺言なんだから」
「お父さんは私のことも考えてくれたのね」
2人は意味ありげに視線を交わしながら、彼女に遺言どおりの遺産分割を求めてきた。財産に執着するわけではないけれど、両親の言葉通りに尽くしてきた歳月を、彼女はむなしく思わざるをえなかった。 |