<彼氏のケース>悔い残る「のれん分け」

 彼(57)は魚料理の飲食店チェーン「さかなや」を経営する会社の社長。この10年、悪戦苦闘しつつも成長を続け、今は地域に9店舗を持つ。

  ある日、「豊漁水産」から1通の請求書が届いた。そこには、原材料の対価200万円余の支払い遅滞を至急支払えと書かれてあった。

  「なんかの間違いじゃないか?」と、彼がその書面をよく見ると、原材料の納入先が「さかなや」本町店とあった。1年半前、元社員の荒波(38)に「のれん分け」し、経営を独立させた店だった。

  彼は急いで本町店に駆けつけたが、荒波はここ1週間姿を見せていないという。3カ月前、ベテランの料理長が辞め、味が落ちて客足が減り、各方面への支払いが滞りがちになっていた。

  翌日、豊漁水産の営業マンが訪ねてきた。同社は半年前、荒波が飛び込みで取引を始め、4カ月前からは掛け売りも認められていた。

  彼は本町店が自分の会社とは経営が別であることを理由に支払いを拒んだ。

  「でも『さかなや』というチェーンがあって、荒波さんは店長と呼ばれていたんですから、だれでも『さかなや』本社の使用人と思いますよ」

  豊漁水産は、荒波が「さかなや」の社員であるかの印象を与えたのだから、その責任は彼の会社にあると言った。

  彼は、荒波との契約関係がのれん分けと経営支援に限られていることを強調した。

  「そんな……。屋号は全く同じだし、従業員も直営店と同じ『さかなや』の屋号入りの制服を着て、名札、領収証、マッチ箱まで『さかなや』と入っているのに」

  「御社も、本町店のことをきちんとお調べになっていないのはどうかと」。彼は反論しながらも、店のチェックが甘かったことを悔いていた。

  「以前は社長さんの部下だったんだから、代わりに何とかしてもらわないと」

  「さかなや」ののれんを挟んで、両者の攻防が続いた。
 
 
不注意の誤認には責任なし

 自己の屋号を使って営業することを他人に許した場合、自己を営業主だと誤認してその他人と取引した者に対し、取引上連帯責任を負わなければならないことがある。いわば、のれん貸しの責任だ。

  このケースでも、経営が独立している本町店がすべて負担するのが原則だが、屋号がそのまま転用され、豊漁水産が彼の会社を営業主だと誤認した事実が認められる。しかし、豊漁水産は飛び込み客の荒波と毎日のように、しかも支払いが滞りがちだったにもかかわらず掛け売りを続け、本町店の経営主体について十分な調査を行っていないことから、その誤認には重大な不注意があった。したがって、彼の会社は支払い責任を負担することはないと考えられる。
 
  筆者:菱田貴子、籔本亜里