<彼女の場合>信頼する君、あとは頼む

 彼女(44)と彼(47)の出会いは18年前のニューヨーク。ある夕刻、混雑した中央駅で、彼女に後ろからぶつかったのが彼だった。日本の会社に嫌気がさして海外へ飛び出していた彼女は、勤務先の銀行からの派遣留学で必死に経営学を勉強していた彼に刺激を受け、金融のプロをめざすことにした。
  2人は悩みも愚痴も言い合える仲だったが恋人ではなかった。帰国後彼は同僚と結婚し、経営コンサルタント会社に転職、7年前に独立。一方彼女は幼なじみと結婚し、外資系の銀行に再就職、今はアナリストをしている。それでも、互いを誰よりも信頼できると思える関係だった。

  半年前、久しぶりに彼から「すぐ会いたい」と連絡があった。新宿の病院に来てくれという。彼はがんだった。

  動転して病室に駆け込んだ彼女に向かって、彼がほほえんで言った。「実はお願いがあるんだ。ここに書いてあるから読んでほしい」

  彼はベッド脇の引き出しから封筒を差し出した。そこには、福祉団体への寄付などの財産処理、葬式や彼が世話になった人への連絡について書かれ、預金通帳や印鑑などが同封されていた。「あとは一番信頼できる君に託したい。どうか頼まれてくれ」

  彼と妻は結婚後すぐ別居。妻は今大阪で別の男性と同居し、彼の入院後もほとんど見舞いに来ていなかった。

  彼はまもなく意識不明になり、半年後静かに息を引き取った。彼女は約束通り友人とのささやかな葬式をすませた。親類はなく、彼が見かけによらず孤独だったのかもしれないと彼女は思った。

  式の最後になって、彼の妻が駆け込んできた。「あとは私がやるから帰って。彼から預かったお金とか、私に返してくださる?」

  「でも、彼から頼まれたのは私ですから」。彼女は、彼の声を背中に感じていた。
 
 
死後も終わらない委任関係

 委任契約は、本来当事者間の信頼関係を基礎にしているので、当事者の死亡によって終了するのが原則だ。もっとも、このケースのように自分の死後の事務処理も委任したような場合は委任関係は終了せず、相続人といえども委任の解除権は制限される。彼は最も信頼できる彼女に、財産処理を含め、自分の死後までを任せたのであり、彼女は引き受けた内容を最後までやり遂げることができる。

  このケースのように生前の療養看護や財産の管理などを委託する例は今後増えるだろうが、半面、受任者の権限乱用にも注意が必要だ。防止策として受任者を監督する任意後見契約の利用も考えたい。このケースでは、法律的には彼が遺言を作成し、遺言執行者として彼女を指定しておく方法も考えられた。
 
  筆者:本橋美智子、籔本亜里