3年前のある日のこと、彼女(38)の携帯電話が鳴った。「おれだよ。元気か?」
電話の主は、その半年前に離婚した元夫(39)だった。彼とは東京で知り合い、10年前に結婚した。彼の実家が経営する旅館を継ぐため、郷里である東北のある街に一緒に移り住んだ。しかし、次第に地方の習慣になじめない自分に気づき、彼と話し合った末に離婚したのだった。
「どうしたの? 私に連絡なんて、何かあったの?」
少しためらいもあったが、懐かしい声に耳を澄ませた。
「今度、おれ、会社を作って学習塾を始めるんだ。旅館も下火だし、いっそのこと昔からやりたかった先生になろうと思って」
そういえば、彼は先生の仕事にあこがれているとよく言っていたのを思い出した。この日のために資本金も1000万円ためたという。
「そこで、お前におれの会社の取締役になってもらいたいんだ。やっぱり気心の知れているやつがいいんだよ」
「えっ! 私、経営なんてズブの素人よ」
「いいんだ、名前だけで。会社に来てもらう必要もないし、おれが仲間とうまくやっていくから。文字通り名義だけ。その代わり当分は報酬もあげられないけどな」
彼女は「取締役」を引き受けた。妻として何もしてあげられなかった罪滅ぼしであり、彼の力になれるのであればと思ったからだ。
それからしばらくの間、彼女は東京で仕事に忙殺され、彼の学習塾のその後の様子を聞く機会を逸し続けていた。ところが4カ月前、突然届いた一通の手紙が彼女の記憶を喚起した。
「このたび○○学習塾を経営する○○株式会社が倒産しました。つきましては、取締役である貴殿に対し、我々が被った損害を賠償していただきたく……」
手紙の差出人は「○○学習塾被害者の会」とあった。
彼女は一瞬心臓が止まったような思いだった。彼をつかまえようと携帯に連絡してもつながらない。あれこれ手を尽くし、彼の右腕となっていた副社長と話ができた。
「2年前大手が進出して急に経営が悪化し、あいつは責任感じて一生懸命やったんだけど、借金が雪だるま。おれたちがもう無理だと言ってもあいつが1人で突っ走って止められない状態で……」
話を聞きながら、彼女はつらそうにしている彼の顔が思い浮かんだ。とはいえ、もはや会社にお金はなく、被害者たちが彼女のもとにも押し寄せる事態が始まっていた。 |
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