9年前の遺産が欲しい

 「おやじの遺産の権利、今からでも取り戻せるだろうか」。彼(49)は、わらをもつかむ思いでいる。

  14年前、彼は脱サラし、東京近郊のある町で、夢だったインド料理の店を開いた。会社員時代の外国出張で培った人脈を生かし、現地から腕のいいコックを連れてきた。スパイスの効いた独特の風味が評判になった。店の立地もよかったため、経営は順調。5年後には2号店をオープンできるまでになった。

  ちょうどその2号店の準備に追われていた9年前、九州にいる彼の父が病気で亡くなったらしい。「らしい」というのは、当時彼は父の死を聞かされなかったからだ。母は20年前に亡くなり、公務員を定年退職していた父は田舎で一人暮らしをしていた。地元でやはり公務員をしている兄が2人いるが、彼は父や兄たちと人生観が全く合わず、15年来、実家には帰らず、「親兄弟なんかに頼るもんか」と、連絡もろくに取っていなかった。兄たちも、家を飛び出していった弟を疎ましく思っていたようだ。

  父の死を知ったのは、死後2年たった7年前だった。「おやじが死んだことを知らせないなんて」と、彼は憤慨した。しかも兄たちは、相続人の1人である彼に無断で、自分たちだけで遺産分割をし、父の遺産のA地とB地をそれぞれの所有名義にしていたのだった。その事実を、彼は母方の伯父から聞いた。

  だが当時、彼は遺産の問題にかかわろうとしなかった。東京で自分の夢を切り開こうと、毎日駆け回る日々。洋々たる前途を確信していた彼にとって、田舎の土地はどうでもよかったのだ。

  しかし、状況は一変。彼はいま窮地に陥っている。経理担当の社員がレストランの金を使い込んで悪評が立ったり、開業以来つきあってきた有能なコックが引き抜かれたりして、レストランの評判も売り上げも急降下。一時は4軒に増えていた店を次々とたたまざるをえなくなり、資金繰りも苦しくなった。

  そんなとき、思い出したのが田舎の土地だった。彼は長兄に連絡をとった。

  「確か、おやじのA地におれにも持ち分があるはずだろう」

  「お前、今ごろ何言っているんだ。あれだけ世話にならないと息巻いていたのに」。長兄はすげなく電話を切った。彼は続けて次兄にも連絡したが、次兄はB地を去年他人に売却してしまっていた。

  せめてA地の持ち分を主張できたら、長兄にその分いくらか金を請求できるのでは……。彼はいま、残された可能性への扉を必死にこじ開けようとしている。
 
 
相続権を回復する手段ある

このケースでは、相続人の彼を無視して兄たちだけで遺産分割が行われているため、彼が自己の持ち分を回復する手段として、相続回復請求権が考えられる。

  もっとも、相続回復請求権は、相続権の侵害を知った時から5年で時効消滅するので注意が必要だ。このケースのように侵害を知った時から7年経過していると問題になるが、共同相続人の兄たちが相続権侵害を知っているような場合には、時効主張は認められないので、彼は時効消滅を心配する必要はないだろう。

  権利が侵害されていることを知ったら、早く相続権を主張しておくべきだ。このケースのように、相続人が遺産を売却するなど、権利関係が複雑になるからだ。

  このケースで兄たちが土地の持ち分を彼に変更しない場合には、彼は訴訟を起こし相続の無効を主張して、兄の相続登記の更正を求めることになろう。
 
  筆者:本橋美智子、籔本亜里