彼女(55)はかけ落ち同然の両親のもとで生まれたが、その両親は共に彼女が20代のときに病気で亡くなってしまった。兄弟も親類といえる者もなく、女ひとりで必死に生きてきたといっていい。
高校卒業後、地元のデパートに勤めながら、たまに山登りするのを楽しみにしていた。幼いころから病弱だったので、健康のためにと父から勧められたのがきっかけだが、いつのまにか貴重な時間になっていた。森のざわめき、鳥のさえずり、流れゆく雲に身をまかせていると、毎日の嫌なことが忘れられた。
そんな空間で12年前、当時43歳の彼女は、59歳だった彼と知りあった。彼は中小機械メーカーの役員で多忙だったが、学生時代に山岳部だったこともあり、50歳を過ぎてから暇を見つけて山歩きをするようになっていた。
「どんな山が好きですか?」「難しい質問だね……『生きている』山と答えておこう」。2人の関係は何げない会話で始まった。
彼には40歳の妻と15歳の娘がいたが、家族関係はぎくしゃくしていた。妻とは年齢差があったせいか、時間がたつにつれいろんな場面で考え方や行動のずれが目立つようになり、そのうちお互いのことに没交渉になっていた。妻は外で気の合う異性と過ごす機会もふえていたようだ。
一方、彼と彼女も出会って3年ほど過ぎたころからほとんど一緒に暮らすようになっていた。デパートの不況、リストラのあおりで、彼女も賃金カット、人員削減による過重労働、配置転換と心身ともにかなり疲弊していた。彼は精神的な支えでもあった。
その後彼女は退職し、転職も試みたが果たせなかった。事実上、生活は彼にかなり頼っていた。元来彼はお金を使わない人で、親から継いだ財産もあったので、妻子には相応の生活費を渡しながら、彼女との暮らしを選んでいた。
ところが1年半前、彼の余命がいくばくもないことが判明した。がんだった。
「いいか、今から遺言を書いておくから。『私が死亡したとき、全遺産の2分の1を○○(彼女)に、残り4分の1ずつを妻○○と長女○○に贈与する……』」
彼は机の引き出しから便箋(びんせん)を取り出し遺言をしたためた。自分が死んだ後の彼女の生活を、彼は心配していたのだった。それからしばらくして彼は亡くなった。71歳だった。
「こんな紙切れ、何よ! あんたなんかに財産をあげられないわ!」
遺言を片手に彼の妻子が彼女を何度もののしった。彼女は何も言わず、ただ頭を深々と下げていた。 |
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