夫の言葉の暴力ひどく

 「いったい誰のおかげでこの家に居られると思ってるんだ。偉そうな口たたくな!」

  彼女(52)の目の前で、夫(55)はいつものように大声で怒鳴り、ドアを勢いよく閉めてリビングを出ていった。

  夫との結婚生活はもうすぐ25年。言葉の暴力は結婚当初からずっと続いている。

  夫は殴ったりけったりはしない。会社ではちょっとうるさい面倒見のいい上司としてそれなりの地位を得ているようだ。しかし、ひとたび家に戻ると暴君に変身する。

  彼女を奴隷とでも思っているようだ。もう何年も会話らしい会話はなく、命令と服従の生活が続く。彼女がちょっと意見らしきことを口にすると、「いったい誰のおかげで……」が始まる。

  離婚は何度も考えたが、一人娘を片親にしたくない、結婚式は両親そろって出席してやりたい、その一心で思いとどまってきた。それに現実問題として、お金も頼る先もない。自分から勝手に家を出たら、慰謝料を一銭ももらえないのではないかと思う。

  暴力をふるわれているわけではないので、相談しても誰も相手にしてくれないだろうと思い、ひたすら我慢してきた。「いっそあの人が愛人でもつくって家を出ていってくれないかしら」と半ば本気で願っている。

  来年、夫は定年を迎える。毎日一緒に家にいる生活はとてもやっていけそうにない。娘は去年、いい伴侶を見つけて結婚した。式を終えると娘は、「お母さん、もう離婚して好きに生きたらいいんじゃない」と真顔で言った。

  彼女は自分の残された人生を真剣に考え始めた。そんな彼女の心境を察したのかどうか、夫の言葉の暴力は激しさを増していった。

  早朝に目が覚めてしまい、気持ちがふさいで何もする気になれなくなってきた。積もり積もったストレスのために、彼女は体調を崩し、寝込む日が多くなった。

  数週間前、心療内科を受診した。これまでの結婚生活を話しているうちに涙があふれてきた。小一時間ほど話をした後、女性医師から「軽いうつですね。薬を飲んでゆっくり治しましょう。これからはもっと自分を大事にしましょうね」と言われた。ずっと胸にしまい込んでいた苦しい思いを初めて人に打ち明けて、彼女は全身の力が抜けるような感覚を味わった。

  しかし帰り道、自宅が目に入ると、彼女は我にかえる自分に気づいた。あの人のいるこの家には帰りたくない――門の前で、彼女はひとり身動きがとれなくなっていた。
 
 
DVの一つ、診断書作って

50代以上の女性の場合、生活設計の問題や、「家庭を壊す離婚は悪」というイメージが強いために、離婚したい思いを心のなかにしまい込んで苦しむ例が少なくない。

  いわゆるDV(ドメスティックバイオレンス)には身体的な暴力だけではなく言葉の暴力も含まれる。ただ、言葉の暴力では、身体的暴力のように外見上の傷害など客観的な証拠が明白ではないので、「暴力」の事実の認定が難しいという問題はある。

  しかし、言葉の暴力が女性の精神状態に悪影響を及ぼす例はきわめて多く、心療内科などを受診して暴力と精神疾患の関係を明らかにした診断書を作ってもらう手もある。

  また、彼女は自分が家を出ると慰謝料がもらえなくなると心配しているが、夫婦の同居義務に違反する家出も、彼女のように病気などの正当な理由があれば認められる場合もある。

  熟年離婚では、慰謝料より財産分与の方が高額になる。同居中に自分名義の財産を把握しておくことも肝要だ。
 
  筆者:菱田貴子、籔本亜里