何よ「家賃」払えって

 彼女(44)は老舗(しにせ)の和菓子屋の長女。大学を卒業して家を出て、一時期OLをしたこともある。しかし、長男である兄(47)が家業を継ぐことを拒否して家を飛び出したこと、また、彼女自身、勤めていた会社の事務の仕事がいまひとつ面白くなかったこともあって、15年前から自宅に戻って家業を手伝ってきた。

  父母とも、4年前に病気で相次いで亡くなった。以来、彼女が店のあるじとして家業を仕切ってきた。職人が精魂込めて手作りする和菓子の温かさを、多くのお客さんに伝えたい――。父母から受け継いだ老舗の誇りを、身一つで守ってきた。

  ところが先日、兄が急に、両親の残した自宅と店の家賃相当額4年分を彼女に請求してきたのだ。

  「おれとお前が親の財産を相続したんだから、お前が独占して使っている自宅や店にはおれの権利もあるだろ。その分をおれがお前からもらって何が悪いんだ」と言う。

  「今さら何を言うの? 私が和菓子屋を守るためにここで暮らして、病気になった両親の世話もしたのに、家賃ってどういうことよ!」

  彼女は兄の身勝手さに怒っていた。

  兄が突然こんな要求をしてきたのには理由があった。彼は二十数年前に家を飛び出してからしばらくサラリーマンをしたあと、10年前に一念発起、仕事で知り合った実業家の仲介もあって都心にパブを開いた。当初は好調で羽振りもよかったようだが、長引く不況の影響で次第に客足が減り、今は開店時の借金の返済にかなり窮するようになっていたのだ。

  両親が亡くなったとき、彼女と兄は遺産分割の手続きをしていなかった。彼女にしてみれば、両親の病が悪化してから、自分が店のあるじだという認識でがんばってきており、両親が相次いで亡くなった時期に、遺産相続のことを冷静に考える暇はなかった。というより、そんなことを考えなければならないという意識すらなかった。

  「兄さんは家を出て自分で好きなことをしていたわ。お父さん、お母さんが病気で床に伏せても、家にはろくに寄りつかなかったじゃない」

  「それとこれとは話が違うさ。相続人なんだから権利は当然ある。どっちがどれだけの取り分にするかは決めていないんだから、おやじたちが亡くなってからお前が得た利益を譲ってもらうのが筋じゃないか」

  お金を必要とする兄の気持ちもわからないではない。しかし、家業を大切に守ってきた時間と努力をないがしろにする兄の姿勢に、彼女は我慢できないでいる。
 
 
遺産分割が終わるまで無償

このケースでは、被相続人である両親の遺産分割がされないままだったため、共同相続人である彼女と兄が遺産(自宅と店)を共有している状態が続いている。

  このような場合、遺産を独占してきた彼女は、遺産の利益(ここでは家賃相当額)を兄に支払わなければならないのだろうか。

  最高裁は、被相続人の許諾を得て同居してきた相続人は、特段の事情がない限り、被相続人が死亡してからも、遺産分割が終わるまでの間なら、建物を無償で使用できると判断している。

  このケースでは、彼女は両親に後継ぎとして認められ、同居してきている。だから、両親が亡くなったあとも、兄と遺産分割をして自宅と店を誰が取得するかが決まるまでの間は、彼女は自宅に無償で住み続けられる。

  兄の主張するこれまでの家賃相当額を支払う必要はない。
 
  筆者:本橋美智子、籔本亜里