年金生活に入るまで、彼(66)の人生は特に波風もなく順調だった。子どもはいなかったが、妻(65)の内助の功あってメーカーを定年まで勤めあげ、ぜいたくできるほどではなかったが、暮らしに困ることはなかった。
そんな彼の人生の歯車が狂い始めたのは4年前。証券マンの勧めで退職金を情報技術関連の株に投じたために大損して落胆していたところに、妻が脳梗塞(こうそく)で倒れ、からだが不自由になってしまった。
2人とも若いころから病気とは縁がなく、医療保険もろくに加入していなかったため、急にお金に困る事態になり、眠れない日が続いた。
そんな折、郵便ポストに入っていた1枚のチラシが彼の目をひいた。
「年金を担保に融資。高齢者は優遇です!!」
年金生活者でもお金を貸してくれる――蓄えを失い、愛妻が倒れてひどく動揺していた彼は、ワラにもすがりたい思いだった。
落ち着いてものごとを考える心の余裕はなかった。さっそく、チラシに書かれた電話番号に連絡した。
数日後、彼が訪ねた貸金業者のオフィスは小ぎれいで、彼のような「お客さん」も数人待っていた。職員の対応も丁寧だったので、彼の不安は次第に和らいだ。
「年金はいくらもらってますか……高い方ですね。200万円お貸ししましょう」
200万円といえば、彼の年金月額の約10カ月分。業者の職員は即決すると、素早く手続きに入った。
「では、担保として年金証書と、年金が振り込まれる預金通帳をお預かりしますね。それと印鑑とキャッシュカードも。毎度ご来店いただかなくても、こちらで返済手続きを進めていきますから」
一瞬、「印鑑は返してもらってもいいのでは」と思ったが、そう言い出せる雰囲気ではなかった。
それから半年を過ぎたころ、業者から連絡が入った。
「暮らし向きはいかが? 何かとご入用では? 返済は順調ですから、新たに100万円ご融資しましょうか」
とりあえずのお金は工面できたものの、年金が自分に入らない以上、ふところは寂しくなるばかり。彼は再び業者のオフィスに足を運び、100万円の融資を受けた。そしてその金がなくなると、再びオフィスに足が向いた。
以来3年半が過ぎた。彼はこの「年金担保融資」から、抜け出せないままでいる。 |
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