修繕したのは私なのに

彼女(32)は5年間暮らした賃貸マンションを、結婚するために引き払おうとした。だが敷金をめぐって、管理人である不動産業者と激しい応酬になった。

  「なんで返してくれないのよ。汚れといっても、普通に5年使っていれば発生する程度じゃないの」

  当然返ってくると思っていた敷金34万円全額は、部屋のクリーニングや修繕費用などに充てられるというのだ。

  不動産屋が強調したのは、契約書のこんな文面だった。

  「賃借人は、本件契約が終了したときは賃借人の費用をもって本件物件を当初契約時の原状に復旧させ、賃貸人に明け渡さなければならない」

  確かに、入居時にサインした契約書だ。しかし、「原状に復旧」という意味がここまでの負担を伴うものとは予想していなかった。

  本当は、敷金の返還どころか、彼女が部屋のリフォームに費やしたお金を返してほしいと言いたいぐらいだった。

  もともと古い物件で、床や壁などの傷みがひどかったので、徹底的に修繕をするよう入居時に依頼した。それなのに、修繕に手抜きでもあったのか、入居直後には部屋のあちこちのクロスがはがれ、床のきしみも発生した。

  彼女が修繕を再三依頼しても、管理人は「すぐに家主と相談します」「業者には連絡してあります」と言うだけでのれんに腕押し状態だった。

  仕事の忙しさから彼女がしばらく連絡しないでいると、そのまま。だから、彼女が自腹を切ってクロスの張り替えなどをしてきたのだ。

  「部屋をなおしたのは私。あなたは5年間何もしなかったじゃない。そのうえ、まだ負担させるっていうの!」

  彼女のリフォーム負担に対しては、さすがに返す言葉がなかったのか、管理人はブツブツとごまかした。そうしておいて、彼女の矛先がやや緩むと逆襲に出た。

  「何度も申し上げますが、契約書と一緒にお渡しした覚書にも書いてありますから」

  契約時にもう一つ、「確認覚書」という書面が袋に入れて渡されていた。そこには、「本件物件を当初の契約時に復旧させるため、クロス・建具・畳・フロアなどの張り替え費用および、設備器具の修理代金を実費にて清算されることになります」とあり、必要な修理費用として30万円から50万円程度とまで記載されていた。しかし、その覚書の内容について、彼女は直接の説明を受けてはいなかった。

  賃借人ってこんなに不利なの? 幸せの門出を前に、彼女の心は暗くなった。
 
 
通常の劣化なら敷金返還

原則的には、賃貸物を返還する時、賃借人には契約当時の原状に戻す義務がある。

  ただし、年月の経過で強度が劣化し日焼けが生じた場合や、通常の利用で賃借物の価値が低下した場合(人が住んで畳が擦り切れた時など)の減価分は、賃借人の負担にはならない。

  では、このケースの「契約時原状に復旧させ」との文言をどのように考えるか。

  もし、通常利用による減価も賃借人に負担させたい場合はその旨を契約書で明らかにしておかなくてはならない。「契約時原状に復旧させ」とあるだけでは、賃借人の一般的な原状回復義務を定めたもの、と読むのが妥当だ。

  原状回復義務の詳細を再度書いた確認覚書も、彼女がきちんと説明を受けたうえで承諾した経緯はないようだ。

  通常の利用に伴う修繕である限り、その費用を彼女が負担する必要はなく、敷金返還を拒否される理由はない。

  むしろ、場合によっては、自己負担分の修繕費用を請求できる可能性もある。
 
  筆者:菱田貴子、籔本亜里