財産は、だれのために?

40年連れ添った妻を昨年がんで亡くした彼(66)は、遺影に向かってつぶやいている。

  「お金なんて、遺(のこ)すもんじゃないねぇ」

  元商社マンの彼は、農産物貿易で世界を飛び回り、海外生活は20年に及んだ。そんな勤務がたたったのか、体調を崩してしまい、58歳で退職した。

  2年前、妻の診断結果がわかった時、彼は看護に力を注ごうとした。しかし自身の体が思うようにならない。子どもの世話にはならないと思っていたのだが、やむをえず、「時々交代でうちに来て助けてくれないか」と2人の子どもに頼んだ。

  長男(39)は、「しばらく大きな仕事を抱えていて、休みもないんだ」と逃げ腰だった。

  長女(37)は「子どもがまだ小さいし、パートもあるし。お父さんの家は遠いのよね……」と、快諾とは言い難かった。

  ところがその数カ月後、中小企業の社長をしていた妻の父が亡くなり、億単位の遺産が妻に入った。子どもたちは急に足繁(しげ)く通い、時には泊まっていくようにもなった。病床の妻は「理由はともあれ、来てくれるのはうれしいじゃないですか」と喜んだ。

  しばらくして、妻は逝った。子どもたちは妻の遺産を片っ端から調べあげ、預貯金や不動産の分け方を争い始めた。

  「そんなにもめないでくれ。お母さんが悲しむよ」

  彼はそう懇願した。でも子どもたちは、「おれたちに任せておけばいい」「そうよ。休んでいてくれればいいから」と、聞く耳を持たない。

  彼自身にも退職金を含めて数千万円のお金がある。子に遺すのが当然と思っていたが、2人の争う様子に、本当にそれでいいのかと悩むようになった。

  妻の死期が近いと思ったころから、彼は夫婦の歴史をノートに書いていた。長かった海外暮らしの思い出が多かった。特にアジアでの十数年間、現地の子どもたちを招き、自宅で一緒に食事をしたことは楽しかった。妻は、招いた子どもたちの笑顔を見るのが大好きだった。

  「おまえの財産は2人に譲るにしても、私のお金は人のために使えないだろうか。アジアの子どもたちのためにでも……」

  きょうも彼は、遺影に語りかけている。
 
 
社会に役立てるのも選択肢

夫婦で築いた財産は、子どもに引き継ぐ例が最も多いだろうが、一部を社会のために役立てたいと思うこともありえよう。

  まず、自分の暮らしに必要なお金を算出した上で寄付を考える。夫婦の老後の暮らしにかかる金額(旅行や趣味向け費用を除く)は、持ち家がある場合、60歳以降で年約250万円、1人になったら約180万円。今60歳以上の企業の退職者なら、ほとんどは年金でまかなえる。

  体調がよくなければ、将来、医療ケア付きマンションに移るとか老人ホームなどに入る可能性も考慮しよう。生涯のキャッシュフローと設計図を把握し、自分の意志で寄付をすること自体が新しい生き方ともいえる。

  このケースのように、発展途上の国の子どもたちに財産を還元するのも選択肢の一つだ。貢献したいと思う地域で活動中のNPOやNGOに問い合わせてみよう。生命保険などに入っていれば、受取人をNPOにできないか調査してみるのも手だ。
 
  筆者:籔本亜里、今井淑英