「父は長期不在で事実上離婚状態です。母にはお金がほとんどないんです」
役所のカウンター越しに必死に訴える彼(37)に、生活保護係の言葉が冷たく響いた。
「実際には離婚していないでしょ。夫婦なんだからお父さんの意向も聞かないと」
母(62)は大阪郊外の小さなアパートに1人で暮らしていた。統合失調症を患っている。
「ろくな食事もとっていない。生活保護で助けてもらえませんか」。だが職員は申請を受け付けてくれなかった。
3カ月前、東京に暮らす彼は出張ついでに久しぶりに母を訪ねた。戸口に出た母は青白い形相だった。せめて栄養をと、外で一緒に煮魚定食を食べた。指を震わせご飯を食べる母のやつれた横顔をみたとき、彼はなんとかしなければと思った。
父(70)は金遣いが荒く、祖父母から継いだ数千万円の財産をあっという間にキャバレーや賭け事に費やしてしまった。深夜借金取りがうちにやって来ると、父は逃げ回り、母が矢面に立って謝っていた始末。
そんなさなかの15年前に、統合失調症を発病したのだった。原因はよくわからないが、お金の問題が引き金になったと彼は思っている。母は借金取りの幻聴にしばしばさいなまれているようだ。
父はここ数年、遠く離れた街で別の女性と暮らしている。月に1度、申し訳程度に母のアパートに立ち寄るが、すぐに帰ってしまう。「母さんを病院に連れて行った方がいいよ」と何度も言ったが、父は世間体を気にして抵抗し続けてきた。
彼にも自責の念があった。母が発病したころ、彼はちょうど就職し、地方に赴任した。母の病気が気になったが、仕事や友達づきあいで頭がいっぱいになり、実家からは足が遠のいた。
そのうち東京で所帯を持ち、子どもの教育費やマンションのローンで出費がかさむようになった。母へ仕送りする金銭的余裕もなければ、一緒に暮らそうにも住まいの余裕がない。でも今は母の病状が心配だ。
どうしたら母を救えるのか。「これ、持っていきなさい……」。別れ際、財布からしわくちゃの1万円札を差し出した母の姿を思い浮かべながら、彼はあせりを強めるばかりだ。 |
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