その夜、中堅商社の営業マンである彼(38)は、深夜に及ぶ残業が連日続いてとても疲れていた。夜11時、満員電車に飛び乗ってつり輪につかまると、すぐに目を閉じた。
「おい、何だよ!」
隣に立っていた30歳くらいの若い男が言った。居眠りをしていた彼の体が若い男の体にぶつかっていたのだ。
「ふざけんなよ、どういうつもりだ! わざとかよ」
怒鳴り声で彼はやっと気づいた。「あ、すまない……」
言いかけた途端、電車が止まった。乗客が降りて余裕ができた車内で、男が彼の腕をねじ上げてきた。さすがに彼も目が覚めてとっさに反撃に出た。
「どういうことだ。謝ったじゃないか」
彼はもともと腕力はあるほうだったが、その日はストレスがたまっていたせいか、力の加減がきかなくなっていた。車内でとっくみあいが始まった。「やめて!」という女性の叫び声を聞いて、2人はとりあえずその場をおさめた。
偶然にも、2人は同じ駅で降りた。男は携帯電話を取り出して110番へ通報。すぐにやってきた警察官に言った。「こいつがおれに暴力をふるったんだ。首が痛くてたまらない。おまわりさん、これ傷害罪だよ」
彼は事情を話し、以後気をつけると言うと、警察官もそれ以上は介入しなかった。ただ、2人とも腕や首を痛めたので、互いの連絡先は知らせた。
3カ月後、事件のことを忘れていた彼のところに一通の封書が届いた。あけて見ると、あの男からの治療費と慰謝料・休業補償で計150万円の請求書があった。頸椎(けいつい)ねんざや腕の痛みで2カ月あまり通院し、会社を休み続けたことが記されていた。
男はトラックの運転手で運転がきちんとできないという。病院の診断書も同封され、支払われない場合は裁判に訴えると締めくくられていた。
「ねんざくらいでどうしてこんなにかかるんだ?」
不審に思った。第一、150万円も彼は払えない。相手から会社の休業証明書を取り寄せたが、確かに欠勤になっている。悪夢を見ているようだ。
うっかり居眠りとちょっとしたケンカ。彼は大きなピンチに立たされてしまった。 |
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