せっかく稼ぎ始めたら
 
彼女(28)は就職する気が起きず、とりわけ勉強したいこともないまま、親のすねをかじって大学院に通うなどしてきた。

  だが今春、ある広告会社に中途採用で入った。独り立ちをする必要に迫られたからだ。

  1年前、父(53)が勤めていた中堅メーカーが、資金繰りに窮して倒産。再建策が始まったが、父は「山や森にかかわる仕事がしたい」と会社を辞めた。安定収入の道を、自ら捨ててしまったのだ。

  それでも母(50)は、「会社の中で我慢するのはもう終わりにしたい」という父の気持ちを受け入れた。

  家計の状況が一変した。父母は退職金や預貯金を元手に都会を離れ、新天地で仕事を見つけて暮らし始めた。

  必然的に、彼女へのサポートも大幅に減額された。この春まで、彼女はアルバイトで何とか食いつないできた。

  就職して1カ月。彼女の口座に初月給が振り込まれた。タイミングを見計らったかのように、父が電話をかけてきた。

  「どうだ、仕事は慣れたか」

  「小さい会社だから、総務、営業から制作交渉までやるので結構大変かな。学生時代みたいにのんびりとはいかないわね」

  「お金、困っていないか?」

  「初めてのお給料が出たわ。アルバイトのころとは、何だか気分が違うわね」

  少し沈黙して、父は言った。

  「しばらくは生活も大変だと思うが、しっかり……」

  「大丈夫よ。お給料、大切に使うから」

  心配をかけたくないので、それ以上の話はできなかった。

  実は、就職と同時期に、彼女はしばらく付き合っていた学校の先輩から結婚を申し込まれていた。大手商社に勤める彼は、優秀で羽振りもいい。良縁と言われれば、そうかもしれない。

  だが彼女は、以前と違って、自分で稼ぐことに価値を見いだしていた。

  だから、「おれが稼ぐから、家庭に入ってくれ」と言う彼とは、考え方が食い違っていた。

  父の会社の倒産、そして自分の就職。でも結婚退職してしまうのか。今後の人生設計は、それでいいのだろうか?

  働くことの喜びに気づいた彼女は、求婚を簡単には受け入れられないと思った。
 
 
人生の設計図は自ら描いて

経済成長期には「夫は働き、妻は家庭を守る」が理想とされた。夫の給料は右肩上がりで、家を3度買い替え、老後は年金が入るというレールがあり、資産運用や保険、税金などに疎くてもどうにか過ごせた。しかし、いまは、そうはいかない。

  自分の人生の設計図は自分で描かないといけない。97年の国民生活白書などによれば、女性の生涯所得は20歳〜60歳まで40年間を常勤すれば約2億3千万円だが、短大を出て7年働き、子育てで7年間仕事を離れた後にパートで26年働いても、約5千万円にしかならない。

  情報技術の発達で、在宅勤務など新たな仕事の形が登場し、家庭か仕事か、という二者択一の時代ではなくなった。寿命も延び、夫婦が共に家計を支えあう形が必須になるだろう。

  ライフデザインを共有できない男性との結婚は、よく話し合っても考え方の溝が埋まらないのであれば、やめた方がいいかもしれない。
 
  筆者:籔本亜里、塩見統子