|
「お父さんが階段で倒れたの。どうしよう」
北海道の母から、東京の会社で勤務中の彼女(45)に電話があった。父は救急車で病院に運ばれ、脳梗塞(こうそく)と診断された。
2日後、彼女は病院に駆けつけた。幸い命に別条はなかった。だが、手足や歩行など日常生活に支障が出る、と主治医から告げられた。
しばらくして無事に退院し、在宅の療養が始まった。
実家は古い木造の一軒家で、間口は狭く段差もある。母は父を抱きかかえながら浴室やトイレに連れていかなければならない。心配した通り、父の介護は母にはかなりの負担になった。彼女は毎日のように実家に電話した。
「私たちのことは心配しなくていい」
電話に出た父が言った。代わった母も、「大丈夫だよ、ちょっとたいへんだけど、休みながらやっているから」と努めて明るい声で応えようとする。
「ヘルパーとか頼んでみたら」と提案したが、父が嫌がるとの理由で実現しなかった。
3カ月後、再び父が廊下でつまずいて倒れた。母が疲れて横になっていたので、自分でトイレに行こうとしたときだった。これをきっかけに、しっかり者の母は父の看病をさらに頑張ってしまった。そしてついに3週間後、過労の目まいと腰痛で寝込んでしまった。
電話を何度かけても応答がないので、近所の知人に様子を見に行ってもらって、彼女は事態を知った。とりあえず1週間の休暇をとって駆けつけた。関西と九州にいる2人の兄も来た。親の世話をこれからどうするか――。両親が寝た深夜、3人は初めて真剣に話し合った。
「仕事が一番たいへんなときだし、距離も遠くていまは厳しいなぁ」。九州にいる2番目の兄が困った表情を浮かべた。
「とりあえず母さんが快復するのを待つとして、問題はその後だな。みんな遠いし、かといってこのままではまた同じことを繰り返すし……」。長兄が彼女の顔を見て言った。
「私が何度もここへ来るのも難しいわ。ちょっとした手助けがあれば、何とかなると思うんだけど……」
ふすまの向こうの闇から両親の寝息が聞こえてくる。解決策もまた闇の中だった。 |
|