タンスの奥から遺言状
 
彼女(42)は、母が75歳で亡くなって1カ月ほどたった今年初め、その遺産について兄(48)と姉(45)と話し合った。

  兄はこう主張した。

  「おれは長男だし、家も継がないといけないので3分の2をもらいたい。残りをおまえたち2人で分けることでいいか」

  4年前に父が亡くなったとき、8500万円余の遺産は父の遺言で約4分の3を母に、残りの4分の1を兄、姉、彼女で3等分した。母が手をつけずに残した約6000万円をどう分けるかが問題になっていたのだ。

  兄の発言には背景があった。ボーナス削減で、バブル期に買った家のローン支払いが相当きつくなっていたのだ。

  もともと争いを好まぬ姉は、下を向いて黙っていた。でも彼女は納得がいかなかった。

  「どうして? 本来は3分の1ずつよね。お姉さんの苦労を思うと、お姉さんが少し多くてもいいくらいじゃないの」

  姉は、独り暮らしになった母の世話に通った。母が痴呆(ちほう)症にかかると、自分の家に引き取った。寝る間もないような介護だったが、姉は不満も言わずに最後まで尽くした。だから彼女は、姉はもっと報われるべきだと思った。

  「兄さんはお母さんの世話を全くしなかったでしょ。私もお父さんから援助してもらったことがあるから、今回はお姉さんにあげたいの」

  しかし、兄は譲らず、姉も反論せず、いったんは兄の主張どおりで分割協議がまとまった。

  ところが最近、母の荷物を整理していたら、タンスの奥から母の遺言書が出てきた。痴呆が始まる前の3年前に書かれていた。内容はこうだった。

  「お姉ちゃん、独りになった私の面倒をみてくれてありがとう。私が死んだらお姉ちゃんに私の財産の2分の1をあげてください。残りを、お兄ちゃんと妹に半分ずつにしてください。兄姉妹がいつまでも仲良くしてくれること、お願いしますね」

  先は長くないと感じていたのか、母は元気なうちに、伝えたいことを書きとめていたのだ。

  だが兄は、母の遺言を見て、「一度決まったことだから……」とポツリと言った。

  老いた母の思いが募る筆跡を前に、彼女は胸が痛くなるばかりであった。
 
 
遺志くみとって財産分割を

遺言は、遺言者が死後の自分の財産の処理方法などを指示するものだ。だが、相続人の間で合意があれば、遺産分割協議で、遺言内容と違う分け方をすることもできる。

  このケースのように、遺産分割協議が終わった後に遺言が見つかることがときどきある。分割協議と遺言の内容をどう調整するかは大切な問題だ。遺言者の思いを最大限くみとって結論に反映することは、円満解決への道の一つだろう。

  一方、遺言に不満がある相続人は、「寄与分」を主張することもできる。これは、相続人の中に、家事を手伝ったとか看護したとか、故人の財産を維持したり増やしたりすることに特別な貢献をした人がいる場合に、その人に相続分以上の財産を取得させる制度だ。

  もちろんこのケースでは兄が寄与分を主張するのは難しい。話し合いがまとまらないときは、家庭裁判所に遺産分割調停を申し立てるのもいいだろう。
 
  筆者:籔本亜里、安田洋子