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貿易会社に勤める彼女(44)が都心回帰を決めたのは、1年前に離婚したころ。息子(13)と過ごす時間が欲しかったからだ。千葉市郊外の賃貸マンションからは、通勤に2時間弱かかっていた。
休日になるとインターネットで適当な物件を探し、現地を見て回った。2人暮らしだから、2LDKで3千〜4千万円の物件が買えればいいと思っていた。蓄えは貯金と離婚の慰謝料で4千万円、年収は約900万円あった。
50件あまりの物件を訪ねた。その中で、彼女が気に入ったのは、築半年の5階建てのマンション。2LDKが1室空いていた。会社まで乗り換えなしで行ける地下鉄の駅に近い。スーパーマーケットも夜遅くまで開いている。周囲も静かで、「ラッキー」と思った。
「どんな人たちが暮らしているんですか?」
やはり住人のことは気になったので、現地の営業所で聞いてみた。着任早々という若手のセールスマンが答えた。
「細かくは何ですけど、お隣と下の階はご家族、上は独身の方です」
総戸数40。さすがに全部の住人のことはわからない、と彼は付け加えた。
息子の学校の新学期も迫っていたこともあって、彼女はこのマンションを新居と定め、今春、引っ越した。
荷ほどきが終わり、ホッとしていたら、思わぬ悪評を耳にした。階下の一室に、暴力団の幹部クラスが家族と暮らしていたのだ。事件が起きたわけではないが、時おり物騒な大声が聞こえ、住人を脅すようなしぐさをするので、問題になりかけているという話が聞こえてきた。
「そんなことがわかっていたら買わなかったわ。なぜ、教えてくれなかったの。私をだましたの? 契約を解除したいっ」
彼女は不動産会社に押しかけた。だが、担当者は「あのマンションには最後の1戸のためにかかわっただけで、全体状況はよく知りませんでした。でも、特に問題が起きているわけではないので……」と言うばかり。
あんなに厳選したつもりだったのに――。人生の再スタートの矢先、難題が彼女の前に立ちはだかった。 |
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