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おやじが73歳で亡くなったのは、2カ月前のことだ。
会社員の彼(45)は、長男として喪主をつとめ、葬儀とその後の処理に追われた。四十九日を終えてほっとしていたところ、突然、2人の姉と弟から詰め寄られた。
「お父さんの遺産ってどうなっているの?」
彼はのけぞった。おやじの遺産?
おやじは60歳で会社を定年退職した。母親が2年前に病気で亡くなったあとは、都内の家で独り暮らしをし、姉たちが通いで世話をしていた。半年前からは、介護型療養施設に入っていた。
遺産として思い当たったのは、母親と40年以上暮らした家くらい。そう言った途端、姉弟たちが言い返してきた。
「あなたの家があるじゃないの!」
「家って、あのアパート?」
彼は築30年のアパートに住んでいる。おやじがなかば道楽で建てたもので、土地も建物もおやじ名義だ。彼は20年ほど前から、管理人をすることを条件に、家賃収入の一部をもらい、家族とともにアパートの一室に暮らしてきた。ほかに15年来の賃借人が2人いる。
ここ数年は補修や維持費用ばかりがかかった。アパートが財産などと考えたこともない。それなのに姉弟たちは、彼が長年暮らす家について、自分たちにも相続権があるという。
おやじには預貯金がほとんどなかった。姉たちが病院代も払い、お小遣いまでやっていたという。負担した分を少しは戻してほしい、ということらしい。
アパートの管理は面倒なので、姉弟たちは手を出したがらなかったのだ。おやじの道楽を引き受けてきたのはオレじゃないか、なのに出て行けというのか、と彼は心の中で反発した。
彼は仕方なく、駅前の銀行を訪ねた。アパートを担保にお金を借り、それで姉たちを納得させようと考えたのだ。が、融資担当者は首をかしげ、現場を見たあげく断ってきた。築30年、賃借人がいて、各室の構造がまったく異なるアパートに担保価値はない、という。
彼の預貯金は800万円程度。私立高校に入学したばかりの息子には、これから教育費がかかる。古ぼけたアパートの前で彼は途方に暮れている。 |
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