<彼氏のケース> 飛んできたチャリンコ
 
週末の土曜日、午前11時。彼(50)はようやく目覚めた。前夜飲みすぎたせいか頭が重い。キッチンにいった。妻は、友人と食事に出かけ、息子は野球の試合らしく、家の中には、ほかにだれもいなかった。

  「そうだ。休みの日に、お米を買ってきてね、と妻に頼まれていたなあ」

  頭はまだボヤっとしていたが、二日酔いへの「罪悪感」もあって、頼まれごとをこなそうと思った。サンダルをつっかけ、自転車にまたがって家を出た。

  道路を走り始めると、車が右後方から、すれすれで通り過ぎていった。ヒヤッとした。「運転マナーを知らない輩(やから)だっ」。ぶつぶつ言いながら、駅前のスーパーへと向かった。

  車の多い駅前に近づくと自転車を降り、歩道に入った。広場の演奏会の音に聴き入りながら、自転車を引っ張っていた。

  その時だった。学生風の若者が乗った自転車がスピードをあげて、通りを横切ってきた。加速したまま、彼のいる歩道に乗り上げようとするではないか。でも、車道から歩道への段差で突然よろけ、彼のからだに自転車ごとぶつかってきた。
  彼は突き飛ばされ、倒れた。

  自転車も横転。若者の方は、一言の謝罪もないまま、すぐに体勢を立て直し、また自転車で走り出し、20メートル先の交差点を曲がっていった。

  ひざをしたたか打った彼の方は、激しい痛みに、その場でうなるばかりだった。

  通りがかりの人にタクシーを呼び止めてもらい、隣駅の大学病院に行った。
  「自転車で事故に遭う患者さんが増えてます。特に高齢の方に多い。自転車だからといってバカにできないんですよね」

  医者はそう言って、レントゲンやCTスキャンの撮影を指示した。しめて1万3千円。そして結果は、腰の打撲とひざの骨折。全治1カ月半の大ケガだった。

  損害はそれだけで済まなかった。会社でかかわっているプロジェクトが動き出そうという時に、1週間休む羽目になった。

  彼は警察に被害届を出した。だが手がかりは少なく、相手は見つからない。

  以来、彼は、歩道を走る自転車が気になってしかたがない。この悔しさと損害を、どこにぶつけたらいいのか……。
 
 
事故を想定して保険加入を

自転車も、道路交通法は自動車と同様に扱っている。

  自転車で歩行者に対する事故を起こすと、自転車側の責任は重く、被害者は加害者に対して治療費や慰謝料などの損害賠償を請求できる。被害者が中高年の場合、重い後遺症となる場合もある。

  もっとも、自転車には、自動車の自賠責保険のような強制保険がない。このため、加害者が賠償金の支払いに困ったり、後遺症の認定などで争いになったりしがちだ。当事者間の協議で解決できない時は、裁判所での調停や訴訟に発展する。

  このケースのように加害者がわからない場合、被害者は自分で加入している傷害保険や、交通事故傷害保険で治療費を賄うしかないのが現状だ。それでも、ケガによる休業に関しては補償が認められない。

  自転車を運転する人は、加害者になりうることを想定し、個人賠償責任保険や自転車総合保険などに加入しておきたい。
 
  筆者:籔本亜里、山梨恵美子