婚姻届が「偉い」のか?
 
  アメリカの大学で経済学を学んで帰国し、民間のシンクタンクで研究を重ねる彼女(35)が事実婚に踏み切ったのは7年前のことだった。5歳年上の夫は金融専門の研究者で、学会の懇親会で知り合った。2人とも研究者として実績を積み、その世界では名前が知られるようになっていた。仕事上の名前が変わるのは不便だし、戸籍という「家」に入れられることに抵抗感があったので、あえて婚姻届は出さずに同居を始めた。

 彼女の両親は事実婚を選んだ娘に寛容だったが、夫の親族は「改姓しない嫁」に対し、結婚当初から冷ややかだった。わかってもらえないもどかしさはあったが、改姓しないという2人の選択は変わらなかった。

 半年前に夫が急死し、状況は一変した。3年前に購入したマンションは頭金を彼女が出し、ローンは夫が組んでいた。持ち分は1対4。夫の生命保険でローンは完済されたが、彼の両親は「5分の4の持ち分の相続権は私たちにある」と主張した。

 彼女はこれまで暮らしてきた住居なのだから、当然、自分が住み続けることができると思っていた。ところが、両親は「物件は売却して、4対1で分配すべきだ」と譲らない。彼女が売却する意思はないと伝えると、「それでは、残りの持ち分を現金で買い取れ」と返答してきた。物件の時価は5千万円。4千万円の現金を即座に用意することなど、とてもできない。

 彼らは、夫が残した貯金や株式などについても「こちらが法定相続人だ」と言う。

 「おとなしく婚姻届を出していればこんなことにはならなかったのに」

 まるで、せせら笑うようにこう言う彼らに、彼女は強い憤りを覚えている。知人には「内縁関係にあった場合『特別縁故者』という立場を主張できるはず」と教えられたが……。

  「やっぱり法律婚にしておくべきだったのか? しかし、相続のためだけに意に沿わない改姓をするのも納得ができない」。このままでは住まいさえ失いかねない彼女の心は千々に乱れている。
 
 


事実婚(法的には内縁)の妻には、法律上「夫」の遺産の相続権がない。子供がいない場合は直系尊属である「夫の親」が相続人になる。特別縁故者への遺産の分与は、相続人がいない場合に認められるもので、今回のケースは該当しない。もっとも、マンションなど内縁夫婦の共有不動産については、残された配偶者がそれを1人で使うことが、夫婦の通常の意思だと認められる場合、配偶者は無償で住み続けられるとの裁判例もある。事実婚では、遺言などで配偶者に財産を遺贈する旨を記しておくことも一案だ。