「あっ、懐かしい」
物置から出てきた漆塗りの茶碗(ちゃわん)や箸(はし)置きに、彼女(44)は子どもの頃の情景を思い起こした。
正月になると祖父母の住むこの家に親戚(しんせき)が集まり、おせちや雑煮を囲んだ。食卓に彩りを添えたのが、祖父が趣味で集めていた伊万里、有田など高価で美しい器の数々。祖父母は昨年相次いで亡くなった。
「このまま眠らせておくのももったいないわねえ」
2人の子どもは大学生と中学生になり、夫は海外に単身赴任中。時間に余裕のできていた彼女にふとアイデアが浮かんだ。
「食事を楽しんでもらうために、こんな高級な器を貸し出すビジネスを始めてみようか」
手触りや見た目に趣のある器に盛りつければ、普段の食事も一層おいしく、豊かな気分を味わってもらえる。悪くない着想だと思った。
美味食器貸し出しサービス。ネーミングもできた。配達は宅配便を使い、料金の一部は貸してくれた人に還元する。頭の中で構想はどんどん膨らむ。
だが、具体化へのノウハウを持たぬずぶの素人。知人の紹介で起業相談会に出かけた。
「会社をつくりますか? それとも、個人で?」
担当者は、法人にしたときの長所短所、個人の場合の信用力の問題、税金の仕組みなどを親切に教えてくれた。
続いて、思い描いている業務の中身をひと通り説明した。相手の担当者は「うーん」とうなった。
「食器のストックはどのくらい? 貸出料はいくら? 需要見込みは? 宣伝方法は?」
しどろもどろになった。
手持ち資金は500万円だが、会社設立には最低でも300万円余りが必要という。さらに、破損時の補償について保険会社にたずねると、多額の保険料がかかることも分かった。
これでは、高級な食器をリーズナブルな価格で家庭に、という着想の面白みが崩れる。甘かっただろうか。
「でも、多くの人に喜んでもらいたい。くじけるものか」。ささやかな夢に向かって、勉強会に足を運ぶ日が続く。 |